Notícias da Coreia do Sul

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新年にもよい実をたくさん結んでください

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  • Data | Dezembro 19, 2004
冬が始まる月であり一年がを終わる12月。去る9月から11月まで3ヶ月の間神様の御旨に従って、多くの人を義に導いた聖徒に神様の貴い賞が許される宣教の実の授賞式が去る19日沃川研修院で開かれた。

ⓒ 2004 WATV
年令別で区分して行われた1、2分期授賞式とは違い今回の3分期授賞式はすべての年令層が授賞式に参加して受賞の喜びを一緒に分かち合った。この日賞を受けたり祝うために沃川研修院に集まった聖徒は研修院大講堂と小講堂で恵ましく行事を行った。

正午になると聖徒はまず映像物を観覧した。映像物の内容は去る1分期から始めて毎分期ごとに多くのよい実を結んで神様に喜びを献げた富川教会の便りをこめていた。

愛しているという表現を惜しまずお互いに喜びと笑いを伝える聖徒たち、連合教会で出発したのでどのようにすればお互いをもっと愛することができるかを悩んで一つの心になるために努力したあと、聖靈が溢れる心を維持するために家庭でも常に説教テープ聞く姿、毎日発表を通じて恵みを分かち合いながら御言葉の糧を豊かにする一家族、朝早く起きて真理の書を読みながら充実した一日を始める牧師の姿など場面ごとに恵ましい内容で溢れた。これは見る人の心に感動と共に大いなる悟りを伝えるにも十分だった。

聖徒は映像物を通じてこの時代に目を覚ましている精神がどんな姿なのかを悟って愛の連合とほほ笑みこそ神様を一番喜ばせることができる近道だということをもう一度心に刻んだ。

1部記念礼拝を通じて御母様は一年の間実を結ぶために苦労した聖徒の努力を致賀なさって“労苦した行いによって神様に祝福もたくさん受けるはずだから使徒パウロのようにすべてのことに感謝して熱心に働いて2005年にも多くの魂を正しいところに導いて神様に喜ばれる子共たちになりなさい”と頼まれた。またペトロの手紙二章を通じて教訓を賜りながら“よい実を結ぶためには何より神様の本性にあずかる者にならなければなりません”と仰せられました。また“暑い夏の日に飲む水は飲む時にだけ飛びそうな喜びを与えるが神様の命の水の御言葉は永遠に渇かないで永遠な喜びを与える名薬中の名薬、名品中の名品”だから“愛と思いやりの心で兄弟姉妹に模範になる一方、より多くの人たちにまことの真理を広く宣伝して天国の賞までも受けることができる子供たちになりなさい”と祝福の御言葉も賜りました。

ⓒ 2004 WATV
続けて総会長金湊哲牧師は長い時間飛行機に乗って韓国に飛んで来た14人のペル-とアメリカのシカゴ聖徒と国内で福音を伝える外国聖徒そして海外から来た留学生までも一人一人紹介しながら嬉しい心を伝えた。また‘預言者たちの預言と人たちの考えの違う点’という説教を通じてこの時代どんな考えと信仰で福音に臨まなければならないのか考えさせた。

金湊哲牧師は2千年前神様を信じると言った人たちが聖書に記録された預言者たちの預言より自分たちの常識と考えを先立たせてキリストを十字架につけたように、この時代にも預言者たちの預言より人の考えと常識を標準に神様の摂理を判断しやすいと言いながら“聖書を信じる私たちだけは人の考えより預言者たちの預言を羅針盤にして手まめに従って行かなければなりません”と言った。また‘誰もが信じることができることを信じることは信仰ではないです。信じられないことを信じることがまさに信仰’だということをもう一度強調した。

2部授賞式に先立って祝賀行事がつながった。海外聖徒は特別讃美で神様に喜びと栄光を帰した。伝統衣裳を着たペル-聖徒の姿は異国的な情趣を催した。子供合唱団圓の祝賀舞台もつながった。子供合唱団員は各国の伝統衣裳を着て民俗舞踊をお目見えした。ペル-聖徒のために特別に準備した衣裳と舞踊はペル-聖徒の熱い拍手喝采を受けたりした。

本格的な授賞式では3分期の間熱心に福音を伝えて良い結果をおさめた受賞者たちが舞台に上がって賞狀と副賞を受けた。特にこの日は多くの福音の実をおさめたペル-教会も受賞教会なので所属教会聖徒と牧師が直接舞台に上がって賞を受けてより嬉しく有意義な授賞式になった。

ⓒ 2004 WATV
ペルー孔俊晧宣教師は受賞後スペイン語で“今回の授賞式に参加するようにして賜ったことだけでも感謝いたします。そのうえ賞まで賜われた神様にまことに感謝を献げます”と言いながら“これからもっと多くの実を結んで神様に喜びと栄光を献げる子供になります”という所感と覚悟を伝えた。

3分期によい実を結んだ尹民玉)聖徒は“ひとえに神様に悔い改める心と嬉しく感謝する心で前だけ見て走ったらこのように賞まで受けるようになった”と言い、“兄弟姉妹を愛する心が切なく命の重要さも切実だった時よい実を結ぶことができた。実を結ぶことはほんとうに私の能力ではなく、心を見られて神様が賜わる贈り物というのを感じた”と言いながら“何もしていないのに貴い賞を賜った神様に感謝いたします”と言った。

『多くの民、強い国々の民も来て/エルサレムにいます万軍の主を尋ね求め/主の恵みを求める。…その日、あらゆる言葉の国々の中から、十人の男が一人のユダの人の裾をつかんで言う。「あなたたちと共に 行かせてほしい。我々は、神があなたたちと共におられると聞いたからだ。」(ゼカ8章22˜23節)。』

向方なしに撮られた人たちの足跡でない、天国に向け明らかに刻まれている神様と預言者たちの足跡に付いて熱心に駆け付ける神様の教会の聖徒たち。

新年にも熱情と愛で手まめに預言者たちの預言に歩調をあわせて歩きながらよい実を結んで神様が賜わる天国の賞までも受けるのに欠けることのない全国と海外のすべての預言者たちになるよう望みます。